趣味と実益の間
こんにちは。アミメキリンです。
だいぶ、ご無沙汰していましたが、
わたしは元気です。
自分を完全に暇にしてみると、絵や文章を書きたくなるんだなぁと気づいた今日この頃です。
なので、久しぶりにブログ更新です。
先日(コロナ禍前。それを先日と言ってしまう。)、友人と会って、いろいろ話をしました。
大概、取るに足らない話題ですが、なかには人生について考えるような深い話もあります。
その中で、趣味の話があったので少し紹介したいと思いました。
わたしの解釈では、
趣味とは、役にたたないもののこと、です。
生きていくのに一見必要ではないもののことです。
役にたたないというのは、おそらく第三者から見ての評価であり、自分にとっては非常に役に立つものであろうと思います。
癒しであったり、充実感であったり、何かを与えてくれるものや活動だからこそ、続けられるものなのですから。
逆に言えば、他人から見た時に、
「で、それって何かの役に立つの?」
と聞きたくなるようなものが趣味だと思っていました。
でも、私の友人の趣味は、わたしの認識の斜め上をいくものでした。
友人は、食べ歩きが好きで、電車で行ける範囲の膨大な数の飲食店をチェックしていました。
雑誌、ネット、テレビなどで得た情報をもとに、それらの場所を地図で調べ、Google Map上にピンを立てていました。
(ここまでは想定内。)
そして、行ったお店、まだ行っていないお店は、ピンの色で判別できるようにして、次の休日にはどこに行くかまで、考えています。
(それも想定内。ここから想定外。)
実際にお店に行ったら、お店の印象、食べものの味、インテリアからお店周辺の情報まで、
気づいたことをスケッチブックに記録しているそうです。
それも、雑誌の切り抜きや、自分でとった写真、ショップカードなども貼って、あたかもガイドブックあるいは旅行記のよう。
友人には言わなかったけど、
「それ、見る人が見たら書籍になるんじゃない?」
と思いました。
(自分用のメモという域を超えているくらいの完成度だったのです。)
本人は趣味のつもりで、心の赴くままに作っているものが、
第三者から見て、ものすごく価値のあるものに見えるのです。
そうか。
趣味も突き詰めたら社会的に価値のあるものになるのか。
逆に、価値が認められるくらいにまで突き詰めたいものが趣味であるのか。
わたしはそう解釈しました。
趣味に対する認識が少し変わりました。
もうちょっと真剣に趣味に取り組もうって思うことができました。
このブログも、ある意味、趣味で始めたものです。
もうちょっと真剣に取り組みますね。
次回は、コロナ禍の中での日常など、書いてみようと思います。
乞うご期待☆